2013年2月5日火曜日

『雌に就いて』

これはまた異色な作品である。

『雌に就いて』という題名がなぜ『女に就いて』ではないのか分からないのだが、とにかく二人の男が「自分の嫁にするならこんな女がいい」という事を論じあう形式で、殆どが会話文で構成されている。こんな女こんな女と話が進んでいくうちに、ああしてこうしてと妄想が膨らんでいくという何とも剽軽な筋書きだが、最後に太宰的なオチが待っている。妄想が進み、女と宿に行って、寝る間際に女に死のうと持ちかける所までいくと、友人が「よしたまえ。空想じゃない」と遮る。そして「空想じゃない」と言った友人の発言は現実のものとなる。翌日、女と心中したのである。例の、自分だけ死に損なった件である。

何だか何が言いたいのかよく分からない筋書きだが、山岸外史宛の書簡によれば、太宰はこの作品を一晩で、しかも井伏鱒二の奥さんと談笑しながら書き上げたのだそうだ。要するにかなりテキトーに書いたという事だろう。道理でよく分からんわけである。芸術とはこんなものでもいいのかも知れない。


2013年1月30日水曜日

『ダス・ゲマイネ』

太宰治が『晩年』で見せた自らの可能性を、改めて実証する旅がここから始まる。ここからは、太宰治が秘めた才能をコンパクトなミニチュア版ではなく、一つ一つ踏みしめて確実にステップを登っていく姿が伺える。とはいえまだこの当時、太宰の精神状態は異常であり、コンディションとしてはかなり悪かったと思われる。何かひょうきんな中にも暗さが垣間見えるのは、何もこの作品に限った話ではないが、その特徴がこの時期特に顕著である。

『ダス・ゲマイネ』は、ドイツ語のDas Gemeine(俗っぽさ)と、津軽弁の「んだすけまいね」(そんなだからだめなんだ)という音をかけているという。なんとも太宰らしい自虐的かつウィットに富んだタイトルであるが、内容は大学生の主人公とその仲間たちが甘酒屋の毛氈の上で出会い、語り合い、同人誌の発行を計画するといったかなり青春まっただ中の内容だ。しかしこれがまた暗い。

当時、私には一日一日が晩年であった。

のっけからこんな一文である。だがそれ以降の内容は至ってひょうきんである。馬場は口が減らないホラ吹きの自称音楽家である。バイオリンのケースを持ち歩いているが、誰も弾いているのを見たことがない。佐竹は絵かきで、彼は動物園でペリカンなどを描いている。佐竹は馬場がデタラメばかり言うので嫌いだと言っている。そして何故か小説家として太宰治が出てくる。なんだ主人公は太宰のことではなかったのだとここでわかる。結局は馬場と太宰が言い合いになって同人誌はご破産になる。言い合いの理由はというと、これがまたよくわからないのである。単なる言葉の応酬である。で、最後に電車にはねられて、主人公は死ぬ。

一見すると、全くよくわからない小説だ。主人公が死んだからといって、別に太宰が自殺を暗示していたとは思われない。だが太宰ファンのあいだでは一貫して人気が高い作品でもある。その気持ちは私にもよくわかる。ただ言葉が面白いのだ。登場人物の会話の中に妙に箴言、格言めいたものや、どこか軽率な考え、対して知りもしないのに訳知り顔で衒学を語るカッコつけた態度。そのくせなんにも芸術家としての力量もなければ、せっかく企画した雑誌もご破産になってしまうという体たらく。この小説は自称芸術家の滑稽さを思いっきり皮肉った作品で、自分もその中のひとりだというやはり太宰特有の自虐があったのだと思う。太宰治のすごさは、芸術に一生をかけて、全身でのめり込みながらも、どこかでそれを客観的に見つめ、冷笑しているところであろう。太宰にとって芸術とは至高にして最低の、言葉にならない、もう笑うしかないようなものだったのだろう。

2013年1月24日木曜日

『晩年』

太宰治は30歳までに卒業すべきだ、とかしばしば言われる。確かにそういう面もあろうと思う。過剰な自己愛や、精神的な弱さの誇張、自殺未遂を繰り返し周りを騒がせる身勝手さ、作家としての自己の才能への過信など、彼のそういう子供じみた面に共感するのはせいぜい20代までだろうというのもわかる。チャーチルだか誰だかが「25歳で左翼でない人には心がない、35歳で左翼である人には頭がない」と言っていたような気がするが、それと大体同じような心理だろう。事実、太宰嫌いの作家には三島由紀夫や石原慎太郎など、右翼的な人物が多い。私は右翼左翼と言って思想を単純に二項対立化するのは好きではないが、太宰などは一時期左翼活動も行っていたし、晩年にも社会主義は正しいなどと発言していることから、こうした分別も仕方のないことであろう。

しかし太宰治を「子供っぽいから」という理由だけで「卒業すべき」とまで言ってしまうのにはちょっと待てと言いたい。なぜなら、作家などというものは大抵子供っぽいからである。自己愛やコンプレックスを抱えたまま、そこから抜け出せずにものを書くというのはかなり普遍的なことである(三島由紀夫だってそうである)。大人になるとは、鈍感になることに他ならないのであって、あまり良く考えずに幸福に生きられるようになるということである。そんな人間に本物が書けるはずがない。そういう意味では、多感な少年(女)期の気持ちのままでいるということはむしろ作家になる条件といってもいいくらいである。そしてそれを克服しようとするか、それとも洗いざらい告白し認めきってしまうかで意見が分かれているに過ぎない。それを見て見ぬふりをするのではなく、あえてその子供っぽい懊悩にこだわり続けることについては本質的に一緒なのである。故に太宰を30までに卒業すべきなのであれば、ほかの作家からも卒業しなければならない。しかしそれでは文学の楽しみを狭めることになるのではないだろうか。

話がだいぶ自分勝手な方向に進んだが、『晩年』は太宰の最初期の創作集である。上記のような太宰の弱さが目白押しで、いたるところで死ぬ死ぬと喚いている。子供っぽいことこの上ない。そもそも『晩年』というタイトルは芥川の『老年』を真似たのか、それとも「これを書いたら死のうと思っていた」とかいう言を信用していいのかわからないが、どちらにしてもやっぱり子供じみているのだ。

ただ内容は実にバラエティーに富んでいる。メタフィクションとか、アフォリズム的な手法だとか、とにかく斬新な手法を取り入れているし、それに何より、とにかく面白いのである。この面白さについては独特のものがあり、ストーリーとして面白いのではなく、太宰特有の文体や表現が面白いのである。吹き出してしまうようなユーモラスなところもあり、はっとさせられる言葉もある。筆使いなどはまだ青いところはあるかもしれないが、若さと挑戦に満ちた太宰のその後の可能性を十分に予見させる作品と言える。

2013年1月21日月曜日

はじめに



私は『芸術的生活を目指すブログ』というブログを書かせてもらっている。
そこでは文学に比重を置いた芸術一般のブログとして、私が出会った文学の中で印象深いと感じた作品について、作品毎の批評を書かせてもらっている。
これは私の趣味で始めたブログであるので、私の気の向くままその日書きたい作品について書きたい事を書いている。
これはこれで楽しく執筆させてもらってはいるのだが、しかしどうもそこから分けて論じた方が良い話題というのがどうしても存在する事に気が付いた。
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫である。
この四人については日本文学史において別格であり、私の気の進むままに時系列も作品同士の繋がりも無視して書いていては、その作家の本質を探るにはいささか無理があると気が付いたのである。
そこで先の『芸術的生活を目指すブログ』がメインだとすると、そこから派生させた、言わばスピンオフ的な作家別のブログがあった方が良いと思われた。
この『太宰治研究』はその一つで、このブログでは太宰治の作品を発表された順番をきちんと踏みながら批評していこうという、そういうスタンスでできたブログだ。
太宰治の作品を有名作品から全集にしか載っていないような作品まで、より細かく取り扱っていきたいという主旨である。

他の三人についても、同じようなスタンスでブログを開設することにしたので、以下のリンクも参照されたい。