2013年1月24日木曜日

『晩年』

太宰治は30歳までに卒業すべきだ、とかしばしば言われる。確かにそういう面もあろうと思う。過剰な自己愛や、精神的な弱さの誇張、自殺未遂を繰り返し周りを騒がせる身勝手さ、作家としての自己の才能への過信など、彼のそういう子供じみた面に共感するのはせいぜい20代までだろうというのもわかる。チャーチルだか誰だかが「25歳で左翼でない人には心がない、35歳で左翼である人には頭がない」と言っていたような気がするが、それと大体同じような心理だろう。事実、太宰嫌いの作家には三島由紀夫や石原慎太郎など、右翼的な人物が多い。私は右翼左翼と言って思想を単純に二項対立化するのは好きではないが、太宰などは一時期左翼活動も行っていたし、晩年にも社会主義は正しいなどと発言していることから、こうした分別も仕方のないことであろう。

しかし太宰治を「子供っぽいから」という理由だけで「卒業すべき」とまで言ってしまうのにはちょっと待てと言いたい。なぜなら、作家などというものは大抵子供っぽいからである。自己愛やコンプレックスを抱えたまま、そこから抜け出せずにものを書くというのはかなり普遍的なことである(三島由紀夫だってそうである)。大人になるとは、鈍感になることに他ならないのであって、あまり良く考えずに幸福に生きられるようになるということである。そんな人間に本物が書けるはずがない。そういう意味では、多感な少年(女)期の気持ちのままでいるということはむしろ作家になる条件といってもいいくらいである。そしてそれを克服しようとするか、それとも洗いざらい告白し認めきってしまうかで意見が分かれているに過ぎない。それを見て見ぬふりをするのではなく、あえてその子供っぽい懊悩にこだわり続けることについては本質的に一緒なのである。故に太宰を30までに卒業すべきなのであれば、ほかの作家からも卒業しなければならない。しかしそれでは文学の楽しみを狭めることになるのではないだろうか。

話がだいぶ自分勝手な方向に進んだが、『晩年』は太宰の最初期の創作集である。上記のような太宰の弱さが目白押しで、いたるところで死ぬ死ぬと喚いている。子供っぽいことこの上ない。そもそも『晩年』というタイトルは芥川の『老年』を真似たのか、それとも「これを書いたら死のうと思っていた」とかいう言を信用していいのかわからないが、どちらにしてもやっぱり子供じみているのだ。

ただ内容は実にバラエティーに富んでいる。メタフィクションとか、アフォリズム的な手法だとか、とにかく斬新な手法を取り入れているし、それに何より、とにかく面白いのである。この面白さについては独特のものがあり、ストーリーとして面白いのではなく、太宰特有の文体や表現が面白いのである。吹き出してしまうようなユーモラスなところもあり、はっとさせられる言葉もある。筆使いなどはまだ青いところはあるかもしれないが、若さと挑戦に満ちた太宰のその後の可能性を十分に予見させる作品と言える。

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